RUN!CAN!FUN!/「繋がる」ということ

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前回の蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブ

OPENING LIVE EVENT~Bloom the Dream~

いやぁ、あれはいいライブだった。今を生きるスクールアイドルの熱を感じた。これからの蓮ノ空に期待せずにはいられなかった。

あれからもう半年も経ったんですね。

そういえば当時、私はあのライブに対してこのような感想を綴った。

「蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブに加入した、あるいはこれから加入する彼女たちが見せる『今』と、これからの未来への期待。

あそこに存在した確かな熱量と努力の形跡は、それを感じさせるには十分すぎるほどのパフォーマンスだったと思う。」

そうだ、あの日感じたのは期待にすぎないのだ。ましてやあのライブでの日野下花帆たちは、本編での彼女らと経験を共有しなかった。

しかし、今回は違う。金沢に確かに生きる彼女たちが、遠征をして私たちの前でライブをしにくる。新しい「今」を見せに来る。あの日の予感の答え合わせの時が来た。

そんな、1st Live Tourの話をしていきたいと思います。

 

Link!:心を繋ぐ

繋がる想いは いつでも

キミに語りかけてるから

耳を澄まして

「永遠のEuphoria」より

私はこれまで何度もラブライブ!シリーズのライブに参加してきたが、今回のライブはそれと比べてどこか違和感があった。

最初に数曲歌って、MCが入り、そこから幕間を挟みつつ、衣装チェンジをしながら物語に沿って曲を披露していく。最後にアンコールがあって、数曲披露して、告知があったりなかったりして、MCをして終わる。

ここだけ見ればいつも通りだ。

ではどこが違うのだろうと考えた時、とてもシンプルな答えに行きあたった。

キャストのMCが極端に少ないのだ。

いつもなら衣装が変わる度に、あるいは幕間に入る前に、キャストは何かしらのMCをする。しかし今回の蓮ノ空1stライブでは、それらが一切と言っていいほどなかった。あったのは、最初の幕間の前の挨拶を含むものとアンコールの最後の2曲の前、そしてアンコールの最後の最後に行われたMCの3回だけだ。アンコールの最初にもMCはあったが、それはキャストによるものではなかった。さらには内1つはMCと言ってもほとんど次の曲の前振りである。もっと言うと、最後のMCはたいてい最後の曲の前に挟まれるが、今回はセットリストの一番最後に置かれた。

おかげで全30曲(最終日のみ31曲)という異例の曲数の披露になったわけだが、一体なぜこんな構成にしたのだろうか。

もちろん、ユニットメインだから1人あたりの曲数は抑えられるからだとか、すでにリリースした曲数が数多くあるからだとか、メタ的な理由も考えられる。

しかし向こうはプロだ。それも、スタッフに至ってはこれまでシリーズを通して様々なノウハウが積み上げられているだろう。となると、そこに何か演出的な意図があると考えるべきだと思う。

では、そんなキャストが喋らない構成にする意図はなにか?

きっとそれは、蓮ノ空の特異性にあると思う。

これまでのラブライブ!シリーズといえば、なんといっても現実と物語のシンクロが特徴だった。要所要所でアニメのダイジェストを流し、キャストがパフォーマンスに至るまでの「過程」という空白にアニメの物語を注ぐことで、現実をフィクションに接近させる。そうして2つの世界が重なっている状態を生み出すことで、作られた虚構を真実にする。そんな不思議な空間こそがなによりの特徴だったと思う。

しかし、蓮ノ空はそれとは決定的に違う。今回ライブしているのは、虚構そのものなのだ。確かな実在性を持った日野下花帆たちが、舞台に立ち私たちの目の前でパフォーマンスをする。実際、アプリの配信やゲーム内の特訓ボイスでも福岡、東京、愛知への遠征についてが言及されていた。ともすれば、楡井希実らキャストは、日野下花帆らそれそのものとして存在しなければならない。

だからこそ、今回の極端にMCを削った構成なのだろう。キャストたちによるMCは、最初の挨拶と最後に添えられた感想のみ。本編の中に挟まれるMCは、日野下花帆たちが行う。

ここまで徹底して表現されたのは、夢みる6人の少女たちの姿だ。

 

例えば、花咲くことだったり

例えば、ラブライブ優勝だったり

例えば、期待に応えることだったり

例えば、スクールアイドルになることだったり

例えば、楽しいことをしたかったり

例えば、世界中を夢中にさせたかったり

 

そんな夢みる少女たちが、その舞台上にはいた。

そしてアンコールの最初のMCでは、その6人が楽しかっただとか、思い出になっただとか、ありがとうだとか、口々に感想を語る。

また、あの時共有したのは、ライブに関する思い出だけではない。

考えてみれば、今回のライブの幕間に流れたストーリーは、本来私たちは知るはずがないものだ。スクールアイドルにとって対外的なものは、スクールアイドルコネクトを通した配信のみで、活動記録は言わば裏の顔のようなものだ。

思えば、あの幕間のストーリーも少し恣意的な切り取り方がされていたようにも感じる。乙宗梢が去年のラブライブ予選でしたことや、藤島慈が大沢瑠璃乃に激情をぶつけたところなど、外には見せられないような場面は抜き取られていた。もちろんこれも尺の都合と言えばそれまでだが、それにより少し不自然な繋がりになってた箇所もいくつかあった。もしかしたらあれは、彼女たちが私たちと思い出を共有するために作った映像だったのかもしれない。

ともあれ、私たちは過去を共有し、今を目撃し、同じ思い出を作った。

これこそが、『心と心がリンクした』というやつなのだろう。

 

さて、ここまでこのライブは日野下花帆たち6人のものであるとして語ってきた。しかし、最終日 愛知公演Day2にて不思議なことが起こった。

ダブルアンコールだ。

「不思議」と言ったのは、これだけはここまで語ってきた話と食い違っているからだ。ダブルアンコールの時は、最後のMCを終えた、言ってしまえばシンクロの魔法が解けた状態のようなものだ。その状態で幕間もなにもなしでキャストたちが出てきてしまっては、日野下花帆たちなのか楡井希実たちなのか、わかったものではない。ここまであんなに現実とフィクションのリンクにこだわっていたのに、だ。

でも、これでいいんだと思う。

私はこの時、ふとデビューミニアルバム発売記念イベント「Dream Believers」で聞いた言葉を思い出していた。

あの日、月音こなさんは「私もそこ(客席)にいたんですよ」と語った。野中ここなさんは「蓮ノ空にはラブライブが大好きで、ラブライブに人生を変えてもらったキャストの子がたくさんいる」と語った。

そりゃそうだ。キャストたち6人も、夢を信じて進んできた人たちなんだ。だったらあの曲を歌わないなんて、そんなの嘘じゃないか。

思い返してみれば、キャストたちのMCでは「12人」という言葉が強調されていた場面もあったような気がする。当たり前のことだ。

だから、最後は、あの瞬間は、きっとどちらでもよかったんだと思う。あるいは、どちらでもあったんだと思う。

そんな12人で歌われるDream Believers。

最後の最後まで、素晴らしい物語だった。

 

Link!:今を繋ぐ

私と君の今を繋ぐ

これはそんなストーリー

「水彩世界」より

今回行われたライブは1st Live Tourだったが、その出来は1stとは思えないものだった。まず、歌声がよかった。ダンスがよかった。ファンサがよかった。表情がよかった。演出がよかった。衣装がよかった。キャストがかわいかった。は?キャストは初めからかわいかったが…

でも実際、1stと言っていいかは疑問がある。だってそうでしょ。キャストたちはこれまで何度もFes×LIVEを経験してきているし、スタッフたちは先述した通りシリーズを通してのノウハウもあるはずだ。

ライブ前にYouTubeに上げられた「Road to 1st Live Tour」で花宮初奈さんも「Fes×LIVEで1度見た曲とかもあると思う」といった話をしていた。

しかし、重要なのは「今」のライブであるということだ。ライブとは、彼女たちが今どこにいるのかを感じることが出来る場だと思う。半年ぶりに歌う曲もあれば、数ヶ月ぶりの曲も、はたまた初めて披露する曲もあったり。そしてそれは以前と同じものではない。ボーカルも、振り付けも、衣装も、演出も、色々なものが成長した、「今」を映し出すのがライブというものだ。

 

「みなさんと一緒に、これまでの軌跡をたどりながら、私たちの全力の『今』をお届けできるよう頑張りますので、みなさん今日も最後までついてきてくださいね!」

 

これは愛知Day2の最初のMCで楡井希実さんの言葉だ。

そりゃ、彼女たちの軌跡を追体験するって言ったって、パフォーマンスする日野下花帆たちは以前とは違う。様々な経験をして、確かに成長している。なんなら公演を重ねるごとに演出が変化した曲まであるくらいだ。

再び愛知Day2での楡井希実さんの言葉を借りよう。

「花帆ちゃんって4月に梢先輩に誘ってもらった時はもうなんにもできない子なんですね、もう、作曲もできない作詞もできないなんか言ったら梢センパイが形にしてくれますみたいな。花帆ちゃんが半年間でさやかちゃんや綴理先輩や慈先輩や瑠璃乃ちゃんと出会って色んなことを乗り越えてきた中で、どういう風に感情が変わったんだろうとか、花帆ちゃんの変化・成長を自分はここでどういう風に見せられるだろうとそのパフォーマンスの上手さとはまた違った部分で見せられたらいいなと思って、(中略)それをこの舞台でこの1stツアーを通してみなさんにお見せすることはできていたでしょうか?」

彼女たちはこの半年間でたくさんのことを経験し、たくさんのことを乗り越え、たくさん成長してきた。その先にあるのが「今」だ。

その変化の中で個人的に最も印象に残ったのは、DOLLCHESTRAのパフォーマンスだ。

以前Fes×LIVEで見た時はなんだか苦しそうというか、悲しそうというか、悲壮感があるようなパフォーマンスだったような曲も、活動記録12話、13話を経て、柔らかくなったような、優しいような、もっと言うと所々で笑顔を見せるようなものになっていた。

きっと、これも成長の一端なんだと思う。

もちろん、今後も成長するであろう彼女たちは、まだまだ未熟な所もあるんだと思う。

それは、キャストたちも同様で、まぁ色々ありましたよね。

でも、きっとそれも全部含めて「今」なんだとも思う。

別に、忙しかったんだからキャストの不調は仕方ないとか言うつもりはない。あの人たちはスクールアイドルである前に1人のプロで、責任がある。そこに仕方ないなんて言葉を投げかけるのは、ある種の冒涜のような気すらする。

でも、失敗を責めることをラブライブから教わった覚えもない。

転んじゃっても起き上がり 笑っちゃえ

「Dream Believers」より

だとか、

立ち上がれない そんな夜も

同じ空を見てる さあ 笑って

「永遠のEuphoria」より

だとか歌ってる人たちですからね。

 

…そういやなんか蓮ノ空の歌詞ってよく笑わせようとするな。

そういえば日野下花帆は笑顔になることを「花咲く」だなんて表現しますけど、昔は「咲う」って書いて「わらう」って読んでたんですよね。とても素敵な表現だと思います。

 

閑話休題

 

まぁ要するに、成長してたり未熟だったりするそれこそが「今」なんだろうという話だ。

最新の活動記録、すなわち「今」の彼女たちのストーリーでも、「スクールアイドルは、不完全でも熱を持ったみんなで作る芸術」だと語られていた。

そんな彼女たちの「軌跡」、そして「今」を感じることができる、素敵なライブだった。

 

Link!:未来へ繋ぐ

始まりが繋がりへ くりかえす物語の中で

夢をみようよ

「Dream Believers」より

今回のライブで、「Legato」という曲がとても印象的だった。

蓮ノ空の曲では何度も「繋がる」という言葉が出てくるが、この曲では特に特徴的だ。

まず、タイトルのLegatoに「音をつなげる」という意味がある。

また、スクールアイドルステージにあるジャケットもそうだ。

 

 

103期という今の時節から、104期という希望ある未来へと繋がる蓮ノ空を歌ったのがこの曲だと思う。

そう、この曲では未来への繋がりが歌われているのだ。「今」を歌い、「今」を残そうとすることが多い蓮ノ空としてはとても珍しいように思う。自分たちの歌を、声を、未来へと繋げ、届けようと歌うのだ。

でも、考えてみたらこれは初めからあった概念だ。伝統曲という形で。例えば、『素顔のピクセル』では昔同級生同士のスリーズブーケがあったんだろうな、とか。例えば、『アイデンティティ』では好きを追求して泥臭くても自分を生きたみらくらぱーく!がいたんだろうな、とか。色々と先代たちが残した言葉から個性を伺うことができる。

そしてLegatoは、きっと希望ある未来への繋がりの歌そのものだ。そのために、想いを繋げようと歌う。

そこで今回のライブだ。

私たちは、今回のライブで、スクールアイドルたちと想いを繋いだ。今を繋いだ。

ならばそれを未来に繋ぐのは、私たちの役目だ。

彼女たちの「今」を知るのは、彼女たち自身、そして今応援している私たちしか存在しない。そして彼女たちは、あまり考えたくはないがそう遠くない未来に「その時」がやってくる。

だが、彼女たちは自分たちの声が永遠になることを望む。

だったらそれを叶えてあげられるのは、私たちしかいないのだ。

きっと私たちは、あのライブを未来へ繋ぐ存在として物語の中に組み込まれてしまったんだと思う。

だから、応援しなきゃ。

 

 

そして、未来というのはなにも遠い先のことだけではない。きっと「今」は、少し先の未来の彼女たちにも繋がっていく。

先程何度も言ったように、このライブはこれまでの軌跡を辿りながら蓮ノ空の「今」を見せるものだった。それはつまり、これまでたくさん撒いてきた種が実を結んだ、言い換えると花が咲いたのだ。

では、少し未来に目を向けてみよう。結んだ実は、あるいは咲いた花は、種を作るのが自然の摂理というものだ。同じように、彼女たちの過去は「今」に繋がった。そしてその「今」はまた未来への糧になるはずだ。

それをくりかえしながら夢をみて、想いを繋げ、何度も小さな花を咲かせて、その先にあるのはきっと花束みたいな世界だ。

だから、その景色を見てみたい。彼女たちの行く先はどんな未来に繋がっているのか、それを私は見てみたいのだ。

 

一緒に見たいんだ 消えない夢(ドリーム) I believe

 

だから、応援しなきゃ

 

Link!→Like!→ラブライブ!

何色って言うんだろう?
好きって気持ち
このリズム、このビート…
今しか刻めない そうだ!
大人になったら 作れない色
君と一緒に 作りたいんだ
「#Love you!」

「夏めきペイン」より

そういえば、私はこのライブを見届けた時、奇妙なことを思った。

ついさっきも言ったが、「応援しなきゃ」と思ったのだ。

別に義務感だとかそういうネガティブなものではない。「彼女たちのこれからが楽しみだ」「だから応援しなきゃ」、そう思った。

「彼女たちのこれからが楽しみだ」「だから応援しよう」「応援したい」

これならわかる。だが「応援しなきゃ」というのは、はて、どういうことか。

早々に結論を述べてしまうが、きっとこれも、「繋がり」の一つなんだと思う。

1人じゃすぐに折れてしまいそうな少女たちが、2人なら、4人なら、6人ならと手を取り合い前に進む姿を見た。

必死に今を生きる少女たちを見た。

前に見た時より成長した姿を見た。

思い出を共有した。

「今」を託された。

時には、消え入りそうな声で「ボクたちをスクールアイドルにしてくれてありがとう」だなんて言われた人もいるだろう。

そんな彼女たちを知ってしまった。素晴らしいものを見せてもらった。これからが楽しみだ。未来へ繋がなくては。じゃあ今応援しなくてどうする?彼女たちのためにも、自分のためにも、応援しなきゃ。

そんな風に感じたのだ。

もちろん、そんなのフィクションだ。現実的に考えて、8000人前後のキャパの会場3箇所で6公演のツアーができる人たちだ。彼女たちのためだなんて言っても、私が応援しなかったところでそんなに影響はないだろう。物語に組み込まれたような感覚も錯覚なのかもしれない。わかっている。

でも、そんなことは全くもってどうでもいい。

たとえそれが虚構だとしても、そこから生まれた感情まで偽物である必要はどこにもない。応援しなきゃ。そう思ったのだからそれでいいのだ。

まぁ長々と語ったが、すごく端的に言うと蓮ノ空のことが好きなのだ。

そしてきっとライブを観た全員が少なからず同じようなことを感じていたと思う。みんな、笑ったり叫んだり泣いたり騒いだり跳んだり、彼女たちの名前を呼んだりした。

そしてそれは観客だけではない。

想いを込めて全力で歌って踊るキャストも、必死にもう1人の自分を表現するために研究するキャストも、仲間を褒めるだけでMCの時間を使い切ってしまうキャストも。

あれは、愛だ。紛れもなく愛だった。あの場で感じたものが商売のための薄っぺらい何かだなんて、誰が言い切れるのか。あれは何より、愛だった。

別にこれを否定したい人がいたとしても、それこそ本当にどうでもいい。私がそう感じたのだから、それが私にとっての全てだ。

最終日のダブルアンコールもそうだ。別にあれが筋書き通りだったとしても、用意されたものだったとしても、そんなのは関係ない。愛を受け取った観客が、自然と愛を叫んだ。それは全くの事実だ。そしてそれに応え、キャストたちが再び出てきてくれた。それこそが何よりの真実だ。あの時のあの感情は、何一つ嘘偽りのない本物だった。

別にそれは最終日に限った話ではない。

6公演ずっと、そこには本物の愛が溢れていたんだと思う。

そんな、愛に生きた時間。

ラブライブ!」の名前がよく似合う、とても素敵なライブだった。

Bloom the Dream/実在する虚像とリアル

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このライブを既存の作法で評するのは難しい。というのも、彼女たちにはライブにおいてなぞるべき物語が存在しない。まだナンバリングライブではないので当然といえば当然なのだが、不利であることに変わりはない。また、ラブライブ!シリーズの象徴たるシンクロパフォーマンスですら、元となるMVなどは特になく、あるのはリリックビデオとアプリ内で行われたFes×LIVEくらいなものだ。

これまでのラブライブ!シリーズのノウハウが適用できない。これは、到底有利とは言えない状況だろう。

 

だがそもそも、エンターテインメントというものは観客が結果を享受するだけで成立し得る。その過程に関わらず結果が重要で、パフォーマンスの質そのもので観客を魅力することができる。

しかし大衆は強欲なもので、その結果に至るまでの過程を、エンターテイナーの人生を求め始める。だからこそドキュメンタリーなんてものが存在する。

これまでのラブライブ!シリーズはそんな観客の欲求をこれでもかと満たしてきた。キャストのシンクロパフォーマンスだけでなく、そこに至るまでの空白にキャラクターの物語を注ぎ込むことで確かな質量を持った物語を作り上げてきた。

なんなら、過程の方も重要だと言ってもいい。スクールアイドルにとってはその軌跡そのものも美しく、十分に輝かしいものである。

では、今回はどうか。リアルタイムで同じ時間を生きることが特徴であるにも関わらず、そこに物語も文脈も乗せることはできない。過程もなにもない。その色を示せない。これは困った。

しかも、客席にいるほとんどはこれまで散々先代らのライブで欲望を満たしてもらってきたモンスターたちだ。この手札で奴らを満足させるのは難しい。

しかし、確かにあのライブで彼女たちは実在性を勝ち取ってみせた。リアルタイムを謳う彼女たちに相応しいものを見せたくれた。

今回は、それについて語っていきたいと思う。

 

蓮ノ空のリアル

ここまで、散々蓮ノ空が他のタイトルと比べて不利な点ばかりを挙げてきた。

しかし、蓮ノ空にはまだ他とは違う点がある。

それは、リアルタイムのバーチャルスクールアイドルだということだ。彼女たちは私たちと同じ時間の流れの中で確かな今を生きている。

その「リアルの虚構」こそが彼女たちのドラマに、息づかいに、実在を与える。

私たちは、「スクールアイドルを支えるみんな」でも「同好会のあなた」でも「夢追う姿に憧れる私」でもなく、あくまで1人の「ファン」だ。なんなら彼女たちの活動を見守る「観測者」と言ってもいいかもしれない。

彼女たちは、「輝かしい偶像」でも「普通人代表」でも「同好会のみんな」でもなく、私たちが応援する「あの子」だ。私たちは彼女たちの学校生活を垣間見たり、配信を見たり、時にはコメントでおしゃべりしたりする。

そして、そんなあの子が今日はライブをするらしい。

訪れた会場でライブが始まると、音楽と共に映像が流れ出す。

そして現れたのは日野下花帆──

ではなく、楡井希実だ。

そりゃそうだ。キャストのライブなんだから。

だがなんだか不思議な様子がある。スクリーンに映る日野下花帆とステージに立つ楡井希実の振り返る振る舞いが全く同じなのだ。

ほかのメンバーも同じ。メンバーによって振り返る速度なんかも違うのに、それに見事に合わせてみせた。

ここは、後の生放送でも何度も練習をしたと語っていた。

いずれにせよ、どうやら彼女たちは物語をなぞることなくその身一つでシンクロする選択肢を取ったようだ。ずいぶんと難しいものだろう。

だが、彼女たちはそれを選ぶ。

それはなぜか。きっと、そうすることが正しいからだ。

別にキャストがなんだかんだでパフォーマンスをしてトークやMCをしてライブを終える、それでもオタクの多くは満足するはずだ。だってオタクはチョロいから。

でもそうはしない。それは正しくないから。

だから、難しくても、取っ掛りがなくても、ひたすらに手札を使って最高の今を作り上げる。

そして彼女たちは、そのパフォーマンスで、立ち振る舞いで、息づかいで、確かな蓮ノ空の実在を感じさせてみせた。私はステージ上に私たちが応援する「スクールアイドルのあの子」を見た。

それはきっと、そこに熱を感じたからだろう。

媒体も、形式も、色々なことがこれまでとは違うにも関わらず蓮ノ空スクールアイドルクラブがラブライブ!シリーズであるのは、彼女たちがスクールアイドルであるからに他ならない。それこそが、他の何を差し置いてもラブライブ!の本質たりうる。

そしてあのライブでは確かにそれを感じた。

透き通る歌と華麗なダンスを見せたスリーズブーケに、迫力のある音とステージを大きく使ったダイナミックなパフォーマンスを見せたDOLLCHESTRAに、観客を盛り上げ新曲のサプライズまで見せたみらくらぱーく!に、確かにスクールアイドルを見た。持てる手札を全て出し尽くして「今」をぶつけてくるその姿は、限りある今を必死に生きるスクールアイドルそのものだった。

それは、蓮ノ空が作り出す世界に引きずり込まれるには、十分だったはずだ。

 

蓮ノ空の今

リアルタイムを謳う彼女たちの確かな実在を見た。

それはいい。

しかし、後日見たスクールアイドルコネクトの配信で行われたのは何事もなかったかのようにいつも通りのトークだ。

 

いや、待ってくれよ

じゃあなんだ、私は確かに彼女たちの実在を感じたのに、あれは嘘だったのか。

あの光景は幻覚で空想で虚構で、存在しないものだったのか。

 

 

不思議と、そうは思わなかった。

それはきっと、あのライブが「オープニング」ライブイベントだったからだろう。恐らくこれは、アニメなんかで毎話流れる「オープニング」と同列に語っていいと思う。

そもそも、オープニング映像での登場人物は、本編でのその人らと経験を共有しない。

これまでのシリーズのアニメなんて、1話目から未加入のメンバーたちが勢揃いで突然ライブをし始める。そこに違和感はない。

そして流れる映像には、過去や今、そして少し先の未来を内包した「その作品の雰囲気そのもの」とも言える映像が展開される。

オープニングは、その物語に観衆を引き込むために存在するものだ。

今回のライブもそうだった。そこにいるのは、日野下花帆たちであって、日野下花帆たちではない。しかし、だからこそ浮き彫りになる彼女たちの「今」

そりゃあ今はまだまだ未完成だったり荒削りな部分もあったけれど。

蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブに加入した、あるいはこれから加入する彼女たちが見せる「今」と、これからの未来への期待。

あそこに存在した確かな熱量と努力の形跡は、それを感じさせるには十分すぎるほどのパフォーマンスだったと思う。

 

蓮ノ空の虚構

先ほど、私は我々が「観測者」であると語った。

しかし、今はもう自分を「観測者」だとは思っていない。

そうさせたのは、アンコールにおいて夕霧綴理が語った言葉だ。

あそこにいたのは、夕霧綴理本人ではないかもしれない。でも、確かに彼女の「今」を映し出す存在だ。

そんな彼女は我々に問う。

「これが今の蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブだ」「私たちはどうだったか」と。それに私は、惜しみのない拍手と歓声で答えた。

そりゃもちろん、その流れ自体は、予め用意されていたシナリオなのだろう。私たちの反応を考慮した上でシナリオが組まれている。私たちも求められるアクションをなんとなく察している。そのライブがどうだったかに関わらず、そこでの彼女の勇気を振り絞った問いかけに答えないだなんて興醒めなことはない。

だが、あの時の反応が空気を読んだものだとか嘘だとかは到底思えない。

それは、彼女たちが確かな努力の果ての熱量を見せてくれたからだろう。

あの瞬間、彼女たちの虚構は、ライブという形で確かな質感を持って現れた。それぞれの過程があり、その先に作り上げる今を見た。

だから、私もそれに精一杯応えた。どうだったかと尋ねられたのなら惜しみのない拍手と歓声を贈った。

そうなってしまってはもう私は観測者ではいられない。ただ彼女たちの活動を見守り、応援するファンそのものだ。どこか遠巻きに物語を眺めていた私を、たった一つの問いで「ファン」に作り替えてしまったのだ。

では、そんな不安げに問いかける6人を、これまでの伝統や歴史を背負う6人を、支えるのは誰か。それはファンに他ならない。

もちろん、私一人がいなくたってあそこにいた5000人超や配信で観ている人たちによって支えられていくだろう。現実なんてそんなもんだ。実在しているのならなおさらだ。

しかし、そうだとしても、私は客席にいるべきなのだ。あの6人が伝統を背負っていくのなら、あの6人が先代たちの重ねてきた歴史の先を歩こうというのなら、私は応援したい。応援しなくては。そう思わされたのだ。

 

虚像が見せた物語から生まれたリアルというのは、なんといってもラブライブ!らしい。

あれこそが、新しいラブライブ!としてどこかピンと来ていなかった私が、ラブライブ!シリーズの新たなタイトルの始まりを感じた瞬間だったと思う。

 

 

Bloom the Dream。

彼女たちの「今」と「未来の予感」を感じさせる、素晴らしいライブだったと思う。

『    』

 

君はちゃんと覚えてる?あの物語を

 

 

 

 

あのいとおしくてたいせつな物語を

 

 

 

 

 

 

 

 

 


すべてを照らして輝く太陽を

   時には陰を生み出してしまったけれど

決意を優しく見守る白い月を

   夜にも輝きをあたえてくれていたよね

星たちが寄り添い輝く夜空を

   離れてしまってもずっといっしょだよ

変わらずそこにある青い海を

   カタチが変わってもそれは変わらない

繰り返し打ち寄せる波の音を

   なんどでもこの場所からまた始まろう

輝きを浴びて芽吹く緑の命を

   曲がっても決して折れずに育ってきた

守るためだけの優しい戦いを

   ここはみんなの想いが宿る場所だから

残酷を突きつけるこの世界を

   いちばん叶えたかった夢は叶えられず

世界に抗い続ける少女たちを

   それでもゼロになんて戻させるものか

終わることない永遠の都市を

   変化しても大切なものは残り続けるよ

光る風と飛ぶ白い紙飛行機を

   みんなが支えてくれたから飛べたんだ

虹を超えて羽ばたく青い鳥を

   君は新しい場所を探す時が来たんだね

砂浜に何度も刻まれる文字を

   繋がってまたこの場所から始まるんだ

決して消えることない輝きを

   想いはずっと僕らの中に残ってるから

   

 


思い出せるよね

 

 

普通の自分を変えたいと願う少女も

仲間との居場所を求めている少女も

過去から逃げ出してしまった少女も

大好きを閉じ込めてしまった少女も

本の世界に閉じこもっている少女も

空想と現実の間で独り揺れる少女も

友の居場所を一人守り続ける少女も

最悪を恐れ親友を突き放した少女も

過去の想い出にすがっている少女も

 

 


輝きたかった

 

 

 

逢った

追った

走った

探した

騒いだ

逃げた

開けた

始めた

呼んだ

聞いた

昇った

笑った

見えた

語った

繋いだ

悩んだ

迷った

閃いた

広げた

感じた

動いた

決めた

押した

巡った

震えた

叫んだ

誘った

憧れた

呟いた

導いた

宿した

祈った

育った

歌った

転んだ

届けた

離れた

隠した

濡れた

伝えた

晴れた

遊んだ

助けた

想った

重ねた

握った

掴んだ

溢れた

踊った

燃えた

集めた

信じた

変えた

跳んだ

見せた

願った

望んだ

選んだ

泳いだ

求めた

刻んだ

叶えた

駆けた

飛んだ

進んだ

 


がんばった

いっぱいいっぱいがんばった

 


輝いていた


そのすべてが

 

 

 

忘れられるはずないよね

   

 

 

 

自分を誇れるようになった

大切な仲間と場所に至った

過去を越えることが出来た

大好きを解き放ち表現した

自分の物語を紡ぎはじめた

確固たる自分を手に入れた

新たな場所へと出発できた

恐れずに信じる勇気を得た

過去の全てを糧に成長した

 

 

 

なくなったりしない

その全てが残ってる

ゼロなんかじゃない

いつだって心にある

 

 

 

覚えているでしょ?

思い出せるでしょ?

 


だって

これは僕らの物語だから

僕らの中にあるお話だから

僕らに刻まれた輝きだから

 

 

どんな時だってそこにあり続ける
苦しい時だってそこにいてくれる

呪いかもしれない

救いかもしれない

 


でも

 


それはとてもとてもいとおしいものだから

それはとてもとてもたいせつなものだから

 

 


だって

 

 

 

そうでしょ?

 

 

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ラブライブ!サンシャイン!!と海の話

海ははじまり。

 

いつでも見える。

うれしいときも、かなしいときも。

 

なにかをはじめる時、いつだってここだ。

ラブライブ!サンシャイン!! 5周年展示会-Pieces of Aqours- より

 

思えば、全ての始まりは海でした。

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Aqoursの始まりはいつも海でした。

始まりというのは、最初だけではありません。

彼女たちは、前に進めなくなった時にはいつも海を訪れます。

高海千歌がスクールアイドルを始めたくて苦心していた時も、桜内梨子がピアノをする理由を探して海の音を求めた時も、東京で立ち塞がったゼロに打ちひしがれた時も、奇跡の波を起こすことができず焦った時も、学校説明会のライブで失敗してこの先に悩んだ時も…

彼女たちはいつだって海を訪れ、古い自分たちを終わらせ、新たな始まりを迎えました。そしてまたいつか海に還り、再び前を向く。まるで、寄せては返す波のように。

そうして物語の最後には、過去も、未来も、イマも、全てを内包した輝きが、再び海へと還っていきました。しかし、それで終わるAqoursではありません。その輝きに魅せられた少女たちが、あの海でまた新たな産声を上げます。彼女たちの輝きは、繰り返される未来へと繋がったのです。その輝きは、彼女たちが変わっていき、最後にはいなくなってしまったとしても残り続けます。まるで、波にかきけされても、誰もいなくなってしまっても、なんどでも砂浜に刻まれるあのAqoursの文字のように。

 

海は、形を変え続けるものです。それでも、形を変えても、ぶつかっても、どんなに水が流れこもうとも、海は海です。ずっとそこにあり続けます。

まるで、彼女たちの歩んできたキセキを、消えない物語を、肯定するかのように

 

Aqoursは、何度壁に阻まれても前に進み続けなければなりません。それこそが彼女たちの美学であり、信念であり、矜恃だからです。壁にぶつかっても、形が変わっても、なんどでも新しく生まれ変わります。なんどでも前に進みます。だって、海はどこまでも広がっているのだから。

 

 

 

そして、それは高海千歌たちだけではありません。

あの時、伊波杏樹たちAqoursも臨界点に立たされていました。

アニメの区切りと3年生の卒業という、物語としての限界。そこに向き合う時が来ていました。

そこで彼女たちは、やはりAqours。前に進むことを選びました。形が変わってしまっても、なんどでも始めようと。

海へと沈むけど 海から昇るんだ 月も太陽も

「未体験HORIZON」より

 

彼女たちは本気なのです。

めちゃくちゃな願いを

世界中で叶えようって

私たちの野望

「スリリング・ワンウェイ」より

 

そしてAqoursは再び海を訪れ、歌うのです。

始まるんだ

「DREAMY COLOR」より

 

しかし、Aqoursの進む先には壁が立ちはだかるものです。

長い長い会えない時間がありました。

 

それでも、Aqoursは諦めませんでした。

そうしてたどり着いた再開の場所、再出発の場所は、やはり海のステージでした。

過去を糧としたAqoursは、再び産声を上げたのです。

 

海から再び飛んだ紙飛行機は、太陽に向かって羽ばたき、風に支えられ、青い鳥となって再び約束の地へと降り立ちます。

あの日交わした約束を果たすために。

新たに約束を交わすために。

 

そんな新しいAqoursがこれから進む先に、どんなことが待っているのか。

そんな、とびっきりのなにかを

楽しみに思わずには、いられないのです。

虹を超えた紙飛行機

Aqoursは落ちる

Aqoursはまるで紙飛行機だ。それ自体は飛ぶ力を持たないけれど、初めに力を与えられて、風に支えられ、飛んでいく。

 

 

高海千歌はいつだって、すでにそこにある何かを原動力としてきました。ゼロのように見えても、そこには確かに何かが残っていて。そのイチが高海千歌を突き動かします。

それはまるで、位置エネルギーが運動エネルギーに変化するようで。

事実、ラブライブ!サンシャイン!!というアニメにおいて「落下」を象徴とする描写は数多く登場します。

今回は、それについてお話させてください。

 

 

高坂穂乃果は確かに0から1を生み出しました。だから、彼女は跳ぶことができました。

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その姿はとても輝いていて、眩しかった。

しかし、強すぎる光は時に影を生み出します。

後の者たちは、必死にその輝きを手にしようと足掻きます。

しかし、足りない。

何かはわからないけど、足りないことはわかる。

鹿角聖良は語ります。

「それは、上手さだけではないと思います。むしろ、今の出演者の多くは先輩たちに引けを取らない歌とダンスのレベルにある。ですが、肩を並べたとは誰も思ってはいません。ラブライブが始まって、その人気を形作った先駆者たちの輝き。決して、手の届かない光」

先駆者たちの輝きは、後を追うものには決して手に入れることはできません。

当たり前ですよね。無謀な夢から始まったあの伝説を再現するには前提から違いすぎます。

だから、跳ぶことができない高海千歌は落ちるしかありません。

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そしてイチをゼロにして終わり。

先駆者の輝きに魅せられて、始まって、がんばって、何かを達成できたりできなかったりして、それで、終わり。

普通はそうです。

それはそれで素敵な物語ではないでしょうか。先代から放たれた輝きが後々にも新たな物語を紡いでいる。誰かの原動力になっている。

いいお話ですよね。

 

しかし、そうはなりませんでした。

これはAqoursの物語です。

普通じゃない、本物の怪獣になった高海千歌が、Aqoursが、落下の果てに確かなものを残した物語。

何かを達成して終わりじゃない、その先で何かを残したのです。

それは、一体どんなものだったのでしょうか。

 

渡辺曜は落ちる

「すごーい!あんな遠くまで飛んだ!」

「次は千歌ちゃんが飛ばす番だよ!」

「私だって…それ!……あぁ〜…もう少し飛ぶと思ったんだけどなぁ…」

「千歌ちゃんもう一回!もう一回だよ!」

みかん色の髪の少女に、彼女は言います。

それでもやっぱり、紙飛行機は墜ちてしまって。

 

「これ、あなたの?」

ワインレッドの髪の少女は問いかけます。

「うん、そうだよ!」

みかん色の髪の少女が答える。

「もっと遠くまで飛ばせる?」

その問いかけに答えたのは、今度はみかん色の髪の少女ではなく彼女。

「飛ばせるよ!もっと!虹を超えるくらい!」

彼女──渡辺曜は、信じているのです。少女、高海千歌を。自分だってそこまでは飛ばせなかったのに、高海千歌なら飛ばせるのだと。

 

 

渡辺曜は、いつだって落ちてきました。

概念的な意味ではなく、物理的にです。

そう、高飛び込みです。

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何かを始めてもすぐに諦めてしまう高海千歌と、幼い頃からずっと高飛び込みを続けてきた渡辺曜

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あの紙飛行機の飛距離にそっくりですね。

彼女にとって、落ちることは諦めること。

それでも、渡辺曜はひとり落ち続けます。高飛び込みという孤独な競技を続けます。

本当は、誰よりもすごい力を持っている幼なじみと肩を並べて何かをしたいのに。

それを諦めて落ち続ける。

高飛び込みはまさに渡辺曜の象徴そのものです。

G'sコミックスにおいても、渡辺曜高飛び込みをしています。

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その対象が「高海千歌」か「誰でもいい」かの違いはあれど、「誰かと一緒に何かをしたい」ということは共通しています。

それでも渡辺曜には高飛び込みの才能がありました。

だから、やりたいことを諦めて落ち続けるのです。

しかし、そんな渡辺曜の元にも奇跡が舞い降ります。

そう、スクールアイドルです。高海千歌にとってそうであったように、その場に共に居た渡辺曜にとってもそれは奇跡で。

彼女はついに憧れの幼なじみと同じ夢を追うのです。

軽いココロ 遠くへ飛んでけそうだ Jumping up!

「Paradise Chime」より

スクールアイドルを始めた彼女は、幼馴染と同じことを始めることができた彼女は、落ち続けていたあの頃とは違います。

だから彼女は、跳んで、言うのです。

 

「Oh yes, ドキドキ Sunshine!」

 

津島善子は堕ちる

不安定なものはエネルギーを放出して安定しようとする。

物理法則の基本ですね。エネルギー準位が高いだとか、ポテンシャルエネルギーだなんて言ったりします。エントロピー増大の法則なんてやつもあります。

 

ヒトはヒトツの存在とは限らない

「in this unstable world」より

 

津島善子/ヨハネはまさに不安定な存在です。人間と堕天使、2つの自分が共存しているのですから。

ノリノリで堕天使として自己紹介をしたと思ったら急に素に戻ったように逃げ出してみたり、かと思ったらまたノリノリで生配信をしていたり。どっちつかずで、不安定。

だから、彼女は何度もどちらかの自分を捨てて安定な状態になろうとしました。知り合いのいない学校で堕天使を謳歌しようとしてみたり、堕天使を捨てようと逃げてみたり、自分を堕天使たらしめる見えない力を否定してみたり。

 

どちらも私だ わかって

「タテホコツバサ」より

 

本当はどちらも自分らしさであるべきなのに。

だから、Aqoursはそれを許しません。

国木田花丸/ずら丸は彼女を「善子ちゃん」と呼びます。

高海千歌/千歌は彼女を「ヨハネちゃん」とも「善子ちゃん」とも呼びます。

桜内梨子/リリーは見えない力を「運命」と呼びます。

それはまさに、彼女があらゆるものに名前を与え定義づけた行為そのもので。

 

彼女は名前の持つ力をよく知っています。「名は体を表す」なんて言葉もありますよね。

だから、彼女はまず名前を与えることで認識します。

表現を以て認識を変えようとするのです。「楽しいから笑うのではなく笑うから楽しい」みたいなやつです。

特に、善子と向き合う花丸には「ずら丸」、ヨハネと向き合う梨子には「リリー」と名付けます。

他にも色々と名前を与えてきました。

ずら丸、リリー、リトルデーモン、ライラプス、……善子、ヨハネ、運命。

Aqoursは、彼女のルールに則って、彼女がどちらか一方の存在であることを否定します。

どちらかの存在をなかったことにしてしまわないように。堕ちきって、壊れてしまう前に。

 

でも、ヨハネはよく否定されるじゃないかって?

そうですね

でも、それは少し違います。

ヨハネは、「無」なのです。

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すなわち「無」とは、すべてが無いのではなく「無」という状態があるということ

ラブライブ!サンシャイン!! 2期2話「雨の音」より

 

突然ですが、あなたは「クミチパ」というものを知っていますか?

 

 

 

…知らない?

 

 

 

 

…マジ?

 

 

 

 

…そっかあ

 

 

 

まぁそりゃそうです。今私が適当に考えた言葉ですからね。

怒らないでください。石を投げないで。

さて、この言葉を聞いてあなたは何を思いましたか?

「知らない」と思った人はいても「そんなものはない」と思った人はいないはずです。

何が言いたいかというと、私たちは、存在しない概念を否定する術を持たないということです。

つまり無は、存在の否定として存在と不可分なのです。

そうしてヨハネは否定されることによってその存在を肯定されます。否定も無視も、それが存在してないとできないのですから。

 

 

要は、Aqoursは善子もヨハネも肯定するということです。

津島善子/ヨハネがどちらかに堕ちきってしまう前に、Aqoursは再び不安定に安定させようとします。

そうして彼女は、逃げ続けた果てにAqoursという居場所に辿り着いたのです。

 

天界より舞い降りし堕天使。

かつて、堕ちた地上を

仮の棲家と見做していた彼女は、

光をたたえた世界に触れる中で

聖なる翼を手に入れ、

再び空へと舞い上がる──

LoveLive!Sunshine!! Aqours magazine ~TSUSHIMA YOSHIKO~より

 

桜内梨子は飛ぶ

「だって、ピアノ弾いてると空飛んでるみたいなの!自分がキラキラになるの、お星様みたいに!」

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幼少期、桜内梨子はそう言いました。

 

転校生という特性が象徴するように、彼女はこの物語において異端そのものです。

スクールアイドルに誘われて楽しそうに歌ったと思ったらすぐに断ったり、沼津の象徴として至る所に現れる犬を唯一恐れたり、誰もが当たり前に思っていたものを沼津の魅力と気づかせたり、あの世界でただ一人全てのことに意味があると気づいたり…

挙げていったらキリがありません。

そして彼女は、あのμ'sと同じ音ノ木坂にいたらしく、昔から空を飛んでいた。

しかし、今はそんな様子ではなく、ピアノに向かう姿はどこか苦しそうです。

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かつて空を飛んでいた桜内梨子は、地に落ち、俯き、輝きを失ってしまいました。

こうして桜内梨子は、沼津という地で落ちていきます。

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しかし、高海千歌渡辺曜に導かれるままに上を向くと、光が彼女を照らします。

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そうして彼女は、水面のピアノに手を伸ばし輝きを取り戻します。

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空と海とが とけあった世界

水面にピアノ 宙に浮かべて弾いてる想像

さあずっとずっと一緒に歌おう

「水面にピアノ」より

 

こうして再び空を飛ぶに至った桜内梨子がたどり着いたのは、雲の上のステージ。

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そこでお星様に囲まれて、青に染まる場所に至りました。

それでもなお、彼女は歌うのです。

 

青さの果ての輝きが見たい

「水面にピアノ」より

 

松浦果南は沈む

松浦果南は恐れます。

何かを失うことを。

だから、いつだって彼女は多くのことを諦め、その手で終わらせてきました。

そうして諦め、傷つき、恐れ、落ちていき、海の底に閉じこもります。

 

もう私は泣いてられない さあ潜ろうか

「さかなかなんだか?」より

 

それでも、決勝に挑む彼女は、海の底に足をつけつつも地上にいました。

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では、彼女に一体何があったのでしょうか。

 

 

彼女は、いつだって最悪の結果を想定してきました。それゆえに、何かを失うことを過剰に恐れてしまいます。

それは、新生Aqoursに加入した後も相変わらずで。

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あの時松浦果南に諦め、終わらせる決断をさせた挑戦。それを誰かが背負う選択から、逃げ続けます。

 

それでも

 

「やっぱり、それしかないよね」

そう言ったのは他でもない、小原鞠莉

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しかし、松浦果南はやはり最悪を想定します。

そんなことになるくらいならこんなものなくなってしまった方がいい。

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そうして投げ捨てたこのノートは、海へと落ち、海の底に沈んでいく

 

 

 

───はずでした。

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跳んだのです。

小原鞠莉が。

誰もが落ちて、堕ちて、沈むこの世界で。

Aqoursのため、浦の星のため、松浦果南のために。

そうして彼女たちは、その挑戦の決断を取ります。

 

しかし、やはり跳ぶことはあまりにも困難で。

高海千歌は何度も何度も失敗し、傷つきます。

それでも高海千歌は今度は落ちません。諦めません。

そんな高海千歌に彼女は言います。

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「よくやったよ千歌、もう限界でしょ?」

やはり誰かが傷つくのは怖い。失いたくない。

彼女は再び諦める選択を持ちかけます。

 

それでも高海千歌は諦めませんでした。

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色々なことを諦めて、投げ出してきた彼女が

普通の自分が嫌で、自分の力で何とかしたくて

そうして何度も何度も何度も何度も挑み続けて

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ついに高海千歌は跳びます。

松浦果南がかつて諦めた景色を見せます。

でも、それだけじゃない。

高海千歌は彼女を諦めさせなかったのです。

ずっとずっと何かを諦めてきたのに。

高海千歌はそれをさせませんでした。

だから、言うのです。

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ありがとう、千歌

 

落ちて、飛ぶ

そうです、Aqoursは跳んだのです。

ずっと落ちていたAqoursは、ついに跳びました。

また落ちそうになったりもしたけれど。

それでも今度は、落ちてしまわないように、壊れてしまわないように、押し上げてくれる人たちがいて

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そうして再び跳んで、駆け登って

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その先にあったのは

そう、雲の上のステージ。

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雲の上はいつも晴れていて、そこを彼女たちは青く染め上げます。

そして、彼女たちは歌うのです。

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心は、青空へと跳ぶのだと。

 

 

こうして、彼女たちは飛びました。

新たな原動力、イチを生み出しました。

ゼロからではないかもしれない。それでも、確かなイチを。

それは、実績のことではありません。

それは、想いのことです。

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彼女たちの輝きは、それを見た誰かの心に残り続けます。

彼女たちが卒業して、あの砂浜からいなくなっても、その輝きに魅せられた誰かの手によって、Aqoursの文字は刻まれ続けます。

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Aqoursが生み出した新たな想い、輝き、そこからまた新たに生まれる想い。

それらは残り続けます。決してなくなったりしません。

それは私たちにだって同じです。

この物語を見て何かを始めたり、始めたいと思ったりした人は少なからずいたと思います。

なんだっていい。

それは、絵だったり、文字だったり、歌だったり、楽器だったり、勉強だったり、スポーツだったり、頑張ることだったり、諦めないことだったり、夢だったり。

そういったことを。

そうでなくたって、今この文章を読んでいるあなたならきっと何かを感じていたはずです。

Aqoursの放つ輝きは私たちに確かな光を宿しました。

だからこそ、Aqoursは何度も問いかけてきました。

初めからずっと。

それを確認するように。想いを確かめあうように。

 

 

 

 

「君の心は輝いてるかい?」

未来の音に耳を澄ませば

はじめに

私は先日、留学が中止になったことについての考えを綴りました

私を叶えるための物語 - 一握の光itakana777.hatenablog.com

しかし、ここでは「留学が中止になってもそこまでのことは無駄じゃないよね」という話しかしていません

 

でもさ

 

そもそも、中止の展開にする必要あった?

 

当然の疑問ですよね

では、考えてみましょう

 

 

「私」って、なんだ?

はい。

「私」って、なんでしょうね。

気が狂ったわけじゃないですよ。身構えないでください。難しい哲学の話とかそんなんでもないです。

ここでの「私」とは、「私を叶える物語」の「私」のことです。

そもそも、この物語では「みんなで叶える物語」と「私を叶える物語」が同時に進行しています。

 

「みんなで叶える物語」とは、喜びを目指すお話

「勝って、ここにいるみんなを笑顔にしたい! 『やった』って、みんなで喜びたい!」

これこそが彼女たちが見つけた夢です。

 

「私を叶える物語」とは、澁谷かのんの夢のお話

「歌でみんなを笑顔にしたい!」

これこそが彼女の小さい時からの夢です。

 

そして今回の留学は「私を叶える物語」に舞いおりたチャンスでした。サブタイトルにもなっていましたね。

 

じゃあ私を叶える物語は澁谷かのんの夢を叶えるだけの物語なのか?

うーん、それはなんだか違う気がします。

 

 

では、「私」とは?

 

澁谷かのんのことでしょうか?

伊達さゆりのことでしょうか?

Liella!の一人ひとりのことでしょうか?

 

きっと、どれも間違いではないですが、正解でもないでしょう。

「私」とは、「夢に向かって踏み出した人」のことなのではないでしょうか。

「私を叶える物語」とは、夢に向かって踏み出した「私」に夢路の歩き方を示す、そんな物語なのではないでしょうか。

 

 

というのも、我々は初めから「私」の存在を知っているはずです。

「私を叶える物語」というコンセプトと共に、スーパースターの名前が出るより前、始まりからあったもの

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そう、一般公募オーディションです。

スクールアイドルに憧れたとして、その衝動から導かれる選択肢は、大きく分けて二つあります。

実際、このオーディションの受験資格がある人たちの中でもそれぞれが存在したでしょう。

 

それは、

「スクールアイドルになりたい」と思う人と、

「スクールアイドルを応援したい」と思う人です。

 

それこそが「私」と「あなた」の分岐点なのではないでしょうか。

そしてスクールアイドルに限らず、勇気を出して夢に向かって踏み出した人

そのみんなが「私」なのだと思います。

 

 

 

すべての「私」へ

澁谷かのんは歌が上手い。

澁谷かのんは才能がある。

だからチャンスが舞いおりた。

それを掴んで夢を叶えた。

 

えぇ、それは素敵な物語でしょう。

 

一度は挫折した才能ある若者が、もう一度前を向き、大きなチャンスを見事掴み取り、夢を叶える。

 

素晴らしいサクセスストーリーです。

 

しかし、ラブライブはそれを許しません。

才能ゆえのチャンスを否定します。

 

そう、留学中止です。

 

これは私を叶える物語の否定でしょうか?

いいえ、むしろその逆。肯定でしょう。

 

 

残酷な話ですが、一般公募オーディションには不合格者も多く存在したはずです。

もし、このまま澁谷かのんが限られたチャンスを手にして夢を叶えて終わっていたら、その人たちの否定になってしまうのではないでしょうか。

みんな等しく夢に踏み出した「私」なのに

大きな勇気を振り絞った「私」なのに

あなたは選ばれなかった。だから叶いません。

 

そんな残酷な話がありますか?

 

選ばれた者、伊達さゆりと青山なぎさと鈴原希実

彼女たちだけを肯定する物語

そんなものをあの世界は望みませんでした。

 

これは、すべての「私」に捧ぐ物語です。

夢に向かって踏み出すその一歩を、ラブライブは肯定し続けます。

 

 

 

たしかに、夢とは残酷なものです。

 

「私に勝って、他人の夢をあなたは奪ったのよ!」

そう、悲痛な叫びを上げる少女がいましたね。

 

夢とは、みんながみんな叶えられるものではありません。

諦めなければ夢は叶うだなんてキレイゴト、あんなの嘘っぱちです。

 

 

それでも

諦めなければ、きっと。

 

そう願うことは、いけないことでしょうか?

そんなはずがありません。

 

 

澁谷かのんは、今回大きな勇気を振り絞って夢へと踏み出しました。

その事実は、決してなくなりません。

そんな彼女なら、夢への想いを固めた彼女なら、きっと諦めずに突き進んで、夢を叶えてくれるのではないか

「夢」の不条理に抗ってくれるのではないか

 

そう、信じてしまうのです。

 

 

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ちいさな勇気 ちいさな一歩

重ねてったら星空も 飛べちゃうかもね

「Welcome to 僕らのセカイ」より

 

これからの物語で、きっと彼女たちは星空にたどり着くでしょう。

みんなを、私たちを、星空に連れていってくれるでしょう。

そこで彼女たちが見せてくれるのはどんな景色か。

 

なんだか、ワクワクしてきませんか?

 

 

さいごに

もちろん、ここで語ったのは私の想いにすぎません。

先の展開なんて、わかりっこないんですから。

これは勝手な妄想と言われても否定できません。

もしかしたら、なんだかんだで澁谷かのんに夢への新たなチャンスが舞い降り、それによって夢を叶えるのかもしれません。

それもまたいいでしょう。

彼女には叶えたい夢があるのだから。

そのためのチャンスがまた舞い降りたならそれを掴むべきでしょう。

 

そもそも澁谷かのんの夢は「歌でみんなを笑顔にする」という非常に壮大で漠然としたものです。

そのための道を大きなチャンスに縋ることなく自ら切り開く困難なんて、想像もできません。

それを一人の少女に願うというのは酷な話です。

 

 

 

 

それでも

 

 

 

もしかしたら

ひょっとしたら

あるいは

きっと

 

 

 

澁谷かのんなら

 

 

Liella!となら

 

 

何かを成し遂げてくれるのではないか

絶対に叶えてくれるのではないか

 

やっぱり、期待してしまうのです。

 

 

 

勇気を出して夢へと踏み出した彼女は、もう決してちっぽけなんかじゃありません。

 

「ほんのちょっぴり」

そう言って始まった彼女の物語はここまでたどり着きました。

 

そんな彼女たちだからこそ

 

みんなでたどり着いた星空で

奏で始めた夢の先で

きらりと輝く希望を見せてくれるのではないか

できっこないと思えることも叶えてくれるのではないか

夢を掴むために、私を叶えるために、本当に大切な「何か」を示してくれるのではないか

 

そう、

 

どうしても、期待せずにはいられないのです。

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私を叶えるための物語

前回のラブライブ!スーパースター!!

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Liella!は澁谷かのんの留学に真剣に向き合い、答えを出しました

それは、彼女の夢のために留学に行くこと、あるいはその背中を押すことです

 

しかし、留学は中止になりました

じゃあ、この一連の流れは一体なんだったんだ

あの時間は無駄だったんじゃないか

 

果たして、本当にそうなのでしょうか?

 

チャンスが舞い降りた

チャンスはある日突然

目の前に舞いおりてきた

思うかたちと違っても

そっと両手を伸ばしたんだ

 

 

少女たちは悩んでいました

澁谷かのんの元に突如訪れた、留学の案内

それは、

 

「歌でみんなを笑顔にしたい!」

 

彼女の夢に繋がる道であり、

 

 

「Liella!のみんなと歌いたい!」

 

彼女の想いから離れる道でもあります

 

悩んでいたのは彼女だけではありません

他の少女たちも、夢をくれた人のために、背中を押してくれた人のために、憧れた人のために、たった一人の夢に本気で向き合います

 

そして、複雑な想いを抱えた中、ついにみんなでひとつの答えを出します

 

それは、夢のために留学に行くことでした

 

チャンスを失った

もう彼女たちに迷いはありません

そして彼女たちは想いを乗せて歌います

これからの未来への希望を謳歌します

 

結果、彼女たちは優勝しました

きっと、彼女たちの想いは間違っていなかったのでしょう

 

 

しかし、最後の最後に突然知らされたのは

 

 

 

留学中止

 

 

いやいや待ってくれ

結果がそれなら彼女たちは何も得てないんじゃないか

 

チャンスはつかんだ

彼女たちの悩みは、苦しみは、想いは、全て無意味だったのか?

いいえ、そんなわけありません

多くは語りませんが、私たちのほとんどは、よく知っているはずです。

想いは、消えたりしないと。

 

そう、彼女たちはもう、昨日までのちっぽけな彼女たちとは違います。

夢と本気でぶつかって、勇気ある決断を出しました。

それは簡単なことではありません。

例え迷ったって、戸惑ったって、ぎこちなくたって、夢へと一歩を踏み出したことはとても大きなことです。

その決意は、いつかまた迷ってしまった時に背中を押してくれるでしょう。

彼女たちは間違いなく手に入れたのです。

それは、結果ではありません。

それは、想いのことです。

 

右手の小指と左手の小指をむすんで

自分に約束しよう

今日の気持ちずっと忘れないよ

 

昔からの夢というのは、捨てられないものなのです

ずっとその人の根底にあり続ける

それは、もはや呪いといってもいいかもしれません

それは、その人の信念であり、定義であり、一部であり、その人自身なのです

そのために悩んだことが、無駄であるはずがありません

これは理屈ではありません

夢とは、そういうものなのです。

 

そして、澁谷かのんは夢へと踏み出す選択ができました。

それはきっと彼女の未来を変えるのではないでしょうか。

 

これからも彼女たちの旅は続きます。

その旅路の果てで何が変わったのか、何が待っているのか

私は楽しみに思います。

 

さいごに

あなたは留学の中止を知って何を感じましたか?

怒った人もいるかもしれません。

喜んだ人もいるかもしれません。

悲しんだ人もいるかもしれません。

でもそれは、その感情は、あなたがこの物語に本気で向き合ってきた証拠です。

 

あなたの感想を否定することは、誰にもできません。

あなたが想ったこと、感じたことは、間違いなく本物だから。

 

でも、だから、私の想いも誰にも否定させません。

私は胸を張って言います。

ラブライブ!スーパースター!!が、大好きであると。

 

 

 

では、あなたはどうですか?

 

 

 

たった今あなたが出した答えを私は否定しません。

 

それでも、ここまで読んでくれたあなたは、

この文章を、最後まで読んでくれたあなたは、

どうにかしてあの物語を理解しようとするあなたは、

きっと、どこかに好きな気持ちがあるはずです。

だからどうか、その気持ちを否定しないであげてください。

あなたの気持ちをあなたが否定しないであげてください。

 

彼女たちは自分の「好き」と、自分の「夢」と、真っ向から向き合いました。

その過程は、結論は、結果はどうあれ美しいものであったはずです。

だから、あなたももう一度、自分の好きな気持ちに向き合ってみませんか?

あなたの好きな物語に向き合ってみませんか?

彼女たちが何を想い、何を歌い、何を成し遂げたのか。

それを、考えてみませんか?

 

 

それこそが、このたった一人のファンの、ちっぽけな願いです。