RUN!CAN!FUN!/「繋がる」ということ

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前回の蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブ

OPENING LIVE EVENT~Bloom the Dream~

いやぁ、あれはいいライブだった。今を生きるスクールアイドルの熱を感じた。これからの蓮ノ空に期待せずにはいられなかった。

あれからもう半年も経ったんですね。

そういえば当時、私はあのライブに対してこのような感想を綴った。

「蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブに加入した、あるいはこれから加入する彼女たちが見せる『今』と、これからの未来への期待。

あそこに存在した確かな熱量と努力の形跡は、それを感じさせるには十分すぎるほどのパフォーマンスだったと思う。」

そうだ、あの日感じたのは期待にすぎないのだ。ましてやあのライブでの日野下花帆たちは、本編での彼女らと経験を共有しなかった。

しかし、今回は違う。金沢に確かに生きる彼女たちが、遠征をして私たちの前でライブをしにくる。新しい「今」を見せに来る。あの日の予感の答え合わせの時が来た。

そんな、1st Live Tourの話をしていきたいと思います。

 

Link!:心を繋ぐ

繋がる想いは いつでも

キミに語りかけてるから

耳を澄まして

「永遠のEuphoria」より

私はこれまで何度もラブライブ!シリーズのライブに参加してきたが、今回のライブはそれと比べてどこか違和感があった。

最初に数曲歌って、MCが入り、そこから幕間を挟みつつ、衣装チェンジをしながら物語に沿って曲を披露していく。最後にアンコールがあって、数曲披露して、告知があったりなかったりして、MCをして終わる。

ここだけ見ればいつも通りだ。

ではどこが違うのだろうと考えた時、とてもシンプルな答えに行きあたった。

キャストのMCが極端に少ないのだ。

いつもなら衣装が変わる度に、あるいは幕間に入る前に、キャストは何かしらのMCをする。しかし今回の蓮ノ空1stライブでは、それらが一切と言っていいほどなかった。あったのは、最初の幕間の前の挨拶を含むものとアンコールの最後の2曲の前、そしてアンコールの最後の最後に行われたMCの3回だけだ。アンコールの最初にもMCはあったが、それはキャストによるものではなかった。さらには内1つはMCと言ってもほとんど次の曲の前振りである。もっと言うと、最後のMCはたいてい最後の曲の前に挟まれるが、今回はセットリストの一番最後に置かれた。

おかげで全30曲(最終日のみ31曲)という異例の曲数の披露になったわけだが、一体なぜこんな構成にしたのだろうか。

もちろん、ユニットメインだから1人あたりの曲数は抑えられるからだとか、すでにリリースした曲数が数多くあるからだとか、メタ的な理由も考えられる。

しかし向こうはプロだ。それも、スタッフに至ってはこれまでシリーズを通して様々なノウハウが積み上げられているだろう。となると、そこに何か演出的な意図があると考えるべきだと思う。

では、そんなキャストが喋らない構成にする意図はなにか?

きっとそれは、蓮ノ空の特異性にあると思う。

これまでのラブライブ!シリーズといえば、なんといっても現実と物語のシンクロが特徴だった。要所要所でアニメのダイジェストを流し、キャストがパフォーマンスに至るまでの「過程」という空白にアニメの物語を注ぐことで、現実をフィクションに接近させる。そうして2つの世界が重なっている状態を生み出すことで、作られた虚構を真実にする。そんな不思議な空間こそがなによりの特徴だったと思う。

しかし、蓮ノ空はそれとは決定的に違う。今回ライブしているのは、虚構そのものなのだ。確かな実在性を持った日野下花帆たちが、舞台に立ち私たちの目の前でパフォーマンスをする。実際、アプリの配信やゲーム内の特訓ボイスでも福岡、東京、愛知への遠征についてが言及されていた。ともすれば、楡井希実らキャストは、日野下花帆らそれそのものとして存在しなければならない。

だからこそ、今回の極端にMCを削った構成なのだろう。キャストたちによるMCは、最初の挨拶と最後に添えられた感想のみ。本編の中に挟まれるMCは、日野下花帆たちが行う。

ここまで徹底して表現されたのは、夢みる6人の少女たちの姿だ。

 

例えば、花咲くことだったり

例えば、ラブライブ優勝だったり

例えば、期待に応えることだったり

例えば、スクールアイドルになることだったり

例えば、楽しいことをしたかったり

例えば、世界中を夢中にさせたかったり

 

そんな夢みる少女たちが、その舞台上にはいた。

そしてアンコールの最初のMCでは、その6人が楽しかっただとか、思い出になっただとか、ありがとうだとか、口々に感想を語る。

また、あの時共有したのは、ライブに関する思い出だけではない。

考えてみれば、今回のライブの幕間に流れたストーリーは、本来私たちは知るはずがないものだ。スクールアイドルにとって対外的なものは、スクールアイドルコネクトを通した配信のみで、活動記録は言わば裏の顔のようなものだ。

思えば、あの幕間のストーリーも少し恣意的な切り取り方がされていたようにも感じる。乙宗梢が去年のラブライブ予選でしたことや、藤島慈が大沢瑠璃乃に激情をぶつけたところなど、外には見せられないような場面は抜き取られていた。もちろんこれも尺の都合と言えばそれまでだが、それにより少し不自然な繋がりになってた箇所もいくつかあった。もしかしたらあれは、彼女たちが私たちと思い出を共有するために作った映像だったのかもしれない。

ともあれ、私たちは過去を共有し、今を目撃し、同じ思い出を作った。

これこそが、『心と心がリンクした』というやつなのだろう。

 

さて、ここまでこのライブは日野下花帆たち6人のものであるとして語ってきた。しかし、最終日 愛知公演Day2にて不思議なことが起こった。

ダブルアンコールだ。

「不思議」と言ったのは、これだけはここまで語ってきた話と食い違っているからだ。ダブルアンコールの時は、最後のMCを終えた、言ってしまえばシンクロの魔法が解けた状態のようなものだ。その状態で幕間もなにもなしでキャストたちが出てきてしまっては、日野下花帆たちなのか楡井希実たちなのか、わかったものではない。ここまであんなに現実とフィクションのリンクにこだわっていたのに、だ。

でも、これでいいんだと思う。

私はこの時、ふとデビューミニアルバム発売記念イベント「Dream Believers」で聞いた言葉を思い出していた。

あの日、月音こなさんは「私もそこ(客席)にいたんですよ」と語った。野中ここなさんは「蓮ノ空にはラブライブが大好きで、ラブライブに人生を変えてもらったキャストの子がたくさんいる」と語った。

そりゃそうだ。キャストたち6人も、夢を信じて進んできた人たちなんだ。だったらあの曲を歌わないなんて、そんなの嘘じゃないか。

思い返してみれば、キャストたちのMCでは「12人」という言葉が強調されていた場面もあったような気がする。当たり前のことだ。

だから、最後は、あの瞬間は、きっとどちらでもよかったんだと思う。あるいは、どちらでもあったんだと思う。

そんな12人で歌われるDream Believers。

最後の最後まで、素晴らしい物語だった。

 

Link!:今を繋ぐ

私と君の今を繋ぐ

これはそんなストーリー

「水彩世界」より

今回行われたライブは1st Live Tourだったが、その出来は1stとは思えないものだった。まず、歌声がよかった。ダンスがよかった。ファンサがよかった。表情がよかった。演出がよかった。衣装がよかった。キャストがかわいかった。は?キャストは初めからかわいかったが…

でも実際、1stと言っていいかは疑問がある。だってそうでしょ。キャストたちはこれまで何度もFes×LIVEを経験してきているし、スタッフたちは先述した通りシリーズを通してのノウハウもあるはずだ。

ライブ前にYouTubeに上げられた「Road to 1st Live Tour」で花宮初奈さんも「Fes×LIVEで1度見た曲とかもあると思う」といった話をしていた。

しかし、重要なのは「今」のライブであるということだ。ライブとは、彼女たちが今どこにいるのかを感じることが出来る場だと思う。半年ぶりに歌う曲もあれば、数ヶ月ぶりの曲も、はたまた初めて披露する曲もあったり。そしてそれは以前と同じものではない。ボーカルも、振り付けも、衣装も、演出も、色々なものが成長した、「今」を映し出すのがライブというものだ。

 

「みなさんと一緒に、これまでの軌跡をたどりながら、私たちの全力の『今』をお届けできるよう頑張りますので、みなさん今日も最後までついてきてくださいね!」

 

これは愛知Day2の最初のMCで楡井希実さんの言葉だ。

そりゃ、彼女たちの軌跡を追体験するって言ったって、パフォーマンスする日野下花帆たちは以前とは違う。様々な経験をして、確かに成長している。なんなら公演を重ねるごとに演出が変化した曲まであるくらいだ。

再び愛知Day2での楡井希実さんの言葉を借りよう。

「花帆ちゃんって4月に梢先輩に誘ってもらった時はもうなんにもできない子なんですね、もう、作曲もできない作詞もできないなんか言ったら梢センパイが形にしてくれますみたいな。花帆ちゃんが半年間でさやかちゃんや綴理先輩や慈先輩や瑠璃乃ちゃんと出会って色んなことを乗り越えてきた中で、どういう風に感情が変わったんだろうとか、花帆ちゃんの変化・成長を自分はここでどういう風に見せられるだろうとそのパフォーマンスの上手さとはまた違った部分で見せられたらいいなと思って、(中略)それをこの舞台でこの1stツアーを通してみなさんにお見せすることはできていたでしょうか?」

彼女たちはこの半年間でたくさんのことを経験し、たくさんのことを乗り越え、たくさん成長してきた。その先にあるのが「今」だ。

その変化の中で個人的に最も印象に残ったのは、DOLLCHESTRAのパフォーマンスだ。

以前Fes×LIVEで見た時はなんだか苦しそうというか、悲しそうというか、悲壮感があるようなパフォーマンスだったような曲も、活動記録12話、13話を経て、柔らかくなったような、優しいような、もっと言うと所々で笑顔を見せるようなものになっていた。

きっと、これも成長の一端なんだと思う。

もちろん、今後も成長するであろう彼女たちは、まだまだ未熟な所もあるんだと思う。

それは、キャストたちも同様で、まぁ色々ありましたよね。

でも、きっとそれも全部含めて「今」なんだとも思う。

別に、忙しかったんだからキャストの不調は仕方ないとか言うつもりはない。あの人たちはスクールアイドルである前に1人のプロで、責任がある。そこに仕方ないなんて言葉を投げかけるのは、ある種の冒涜のような気すらする。

でも、失敗を責めることをラブライブから教わった覚えもない。

転んじゃっても起き上がり 笑っちゃえ

「Dream Believers」より

だとか、

立ち上がれない そんな夜も

同じ空を見てる さあ 笑って

「永遠のEuphoria」より

だとか歌ってる人たちですからね。

 

…そういやなんか蓮ノ空の歌詞ってよく笑わせようとするな。

そういえば日野下花帆は笑顔になることを「花咲く」だなんて表現しますけど、昔は「咲う」って書いて「わらう」って読んでたんですよね。とても素敵な表現だと思います。

 

閑話休題

 

まぁ要するに、成長してたり未熟だったりするそれこそが「今」なんだろうという話だ。

最新の活動記録、すなわち「今」の彼女たちのストーリーでも、「スクールアイドルは、不完全でも熱を持ったみんなで作る芸術」だと語られていた。

そんな彼女たちの「軌跡」、そして「今」を感じることができる、素敵なライブだった。

 

Link!:未来へ繋ぐ

始まりが繋がりへ くりかえす物語の中で

夢をみようよ

「Dream Believers」より

今回のライブで、「Legato」という曲がとても印象的だった。

蓮ノ空の曲では何度も「繋がる」という言葉が出てくるが、この曲では特に特徴的だ。

まず、タイトルのLegatoに「音をつなげる」という意味がある。

また、スクールアイドルステージにあるジャケットもそうだ。

 

 

103期という今の時節から、104期という希望ある未来へと繋がる蓮ノ空を歌ったのがこの曲だと思う。

そう、この曲では未来への繋がりが歌われているのだ。「今」を歌い、「今」を残そうとすることが多い蓮ノ空としてはとても珍しいように思う。自分たちの歌を、声を、未来へと繋げ、届けようと歌うのだ。

でも、考えてみたらこれは初めからあった概念だ。伝統曲という形で。例えば、『素顔のピクセル』では昔同級生同士のスリーズブーケがあったんだろうな、とか。例えば、『アイデンティティ』では好きを追求して泥臭くても自分を生きたみらくらぱーく!がいたんだろうな、とか。色々と先代たちが残した言葉から個性を伺うことができる。

そしてLegatoは、きっと希望ある未来への繋がりの歌そのものだ。そのために、想いを繋げようと歌う。

そこで今回のライブだ。

私たちは、今回のライブで、スクールアイドルたちと想いを繋いだ。今を繋いだ。

ならばそれを未来に繋ぐのは、私たちの役目だ。

彼女たちの「今」を知るのは、彼女たち自身、そして今応援している私たちしか存在しない。そして彼女たちは、あまり考えたくはないがそう遠くない未来に「その時」がやってくる。

だが、彼女たちは自分たちの声が永遠になることを望む。

だったらそれを叶えてあげられるのは、私たちしかいないのだ。

きっと私たちは、あのライブを未来へ繋ぐ存在として物語の中に組み込まれてしまったんだと思う。

だから、応援しなきゃ。

 

 

そして、未来というのはなにも遠い先のことだけではない。きっと「今」は、少し先の未来の彼女たちにも繋がっていく。

先程何度も言ったように、このライブはこれまでの軌跡を辿りながら蓮ノ空の「今」を見せるものだった。それはつまり、これまでたくさん撒いてきた種が実を結んだ、言い換えると花が咲いたのだ。

では、少し未来に目を向けてみよう。結んだ実は、あるいは咲いた花は、種を作るのが自然の摂理というものだ。同じように、彼女たちの過去は「今」に繋がった。そしてその「今」はまた未来への糧になるはずだ。

それをくりかえしながら夢をみて、想いを繋げ、何度も小さな花を咲かせて、その先にあるのはきっと花束みたいな世界だ。

だから、その景色を見てみたい。彼女たちの行く先はどんな未来に繋がっているのか、それを私は見てみたいのだ。

 

一緒に見たいんだ 消えない夢(ドリーム) I believe

 

だから、応援しなきゃ

 

Link!→Like!→ラブライブ!

何色って言うんだろう?
好きって気持ち
このリズム、このビート…
今しか刻めない そうだ!
大人になったら 作れない色
君と一緒に 作りたいんだ
「#Love you!」

「夏めきペイン」より

そういえば、私はこのライブを見届けた時、奇妙なことを思った。

ついさっきも言ったが、「応援しなきゃ」と思ったのだ。

別に義務感だとかそういうネガティブなものではない。「彼女たちのこれからが楽しみだ」「だから応援しなきゃ」、そう思った。

「彼女たちのこれからが楽しみだ」「だから応援しよう」「応援したい」

これならわかる。だが「応援しなきゃ」というのは、はて、どういうことか。

早々に結論を述べてしまうが、きっとこれも、「繋がり」の一つなんだと思う。

1人じゃすぐに折れてしまいそうな少女たちが、2人なら、4人なら、6人ならと手を取り合い前に進む姿を見た。

必死に今を生きる少女たちを見た。

前に見た時より成長した姿を見た。

思い出を共有した。

「今」を託された。

時には、消え入りそうな声で「ボクたちをスクールアイドルにしてくれてありがとう」だなんて言われた人もいるだろう。

そんな彼女たちを知ってしまった。素晴らしいものを見せてもらった。これからが楽しみだ。未来へ繋がなくては。じゃあ今応援しなくてどうする?彼女たちのためにも、自分のためにも、応援しなきゃ。

そんな風に感じたのだ。

もちろん、そんなのフィクションだ。現実的に考えて、8000人前後のキャパの会場3箇所で6公演のツアーができる人たちだ。彼女たちのためだなんて言っても、私が応援しなかったところでそんなに影響はないだろう。物語に組み込まれたような感覚も錯覚なのかもしれない。わかっている。

でも、そんなことは全くもってどうでもいい。

たとえそれが虚構だとしても、そこから生まれた感情まで偽物である必要はどこにもない。応援しなきゃ。そう思ったのだからそれでいいのだ。

まぁ長々と語ったが、すごく端的に言うと蓮ノ空のことが好きなのだ。

そしてきっとライブを観た全員が少なからず同じようなことを感じていたと思う。みんな、笑ったり叫んだり泣いたり騒いだり跳んだり、彼女たちの名前を呼んだりした。

そしてそれは観客だけではない。

想いを込めて全力で歌って踊るキャストも、必死にもう1人の自分を表現するために研究するキャストも、仲間を褒めるだけでMCの時間を使い切ってしまうキャストも。

あれは、愛だ。紛れもなく愛だった。あの場で感じたものが商売のための薄っぺらい何かだなんて、誰が言い切れるのか。あれは何より、愛だった。

別にこれを否定したい人がいたとしても、それこそ本当にどうでもいい。私がそう感じたのだから、それが私にとっての全てだ。

最終日のダブルアンコールもそうだ。別にあれが筋書き通りだったとしても、用意されたものだったとしても、そんなのは関係ない。愛を受け取った観客が、自然と愛を叫んだ。それは全くの事実だ。そしてそれに応え、キャストたちが再び出てきてくれた。それこそが何よりの真実だ。あの時のあの感情は、何一つ嘘偽りのない本物だった。

別にそれは最終日に限った話ではない。

6公演ずっと、そこには本物の愛が溢れていたんだと思う。

そんな、愛に生きた時間。

ラブライブ!」の名前がよく似合う、とても素敵なライブだった。